江戸の暮らしが息づく技と美

増印章ケース

お世話になりました。
増印章ケースは仕事を納めさせていただきました。
以下は葛飾の伝統産業の記録として残します。



印章ケース増渕
印章ケース増渕



印章、その歴史ははるか昔、古代メソポタミアまで遡る。
 個人、または組織の責任や権威を表す印章。その歴史は紀元前3500年の古代メソポタミア文明まで遡るといわれます。
 日本でも、古来より使われていた形跡はありますが、平安以降、花押というサインの一種に取って代わられた時代が長く続き、印章が復活し、現代のように個人や組織の権威や責任を示す使われ方をするのは、江戸時代になってからのことです。
 明治に入ると、さまざまな制度の法整備が進むに連れて、印章の重要性はますます高まり、個人、法人問わず、社会生活において、自分の「分身」といえるほど、大切な道具となりました。
 その大切な印章の材が、木や象牙などの天然素材であったため、虫食いや破損を防ぐためのケースや入れ物についての重要性も高まりました。
 縁起のよい素材やデザインを中心に、全国でさまざまな印章ケースが生まれました。中でも丈夫で長持ちする天然皮革が高級素材として、広く使われるようになったのです。



東京で唯一人の本格手作りの高級印章ケース職人
 利根川水系の中川と水元公園に挟まれた閑静な住宅地。その一角にある二世帯住宅の二階の一室が、高級印章ケースの伝統工芸士、増渕忠三さんの工房である。
 「戦後、東京に出てきたばかりの時は、三畳一間の長屋しか借りれなくてね。それから女房もらって、四畳半。子供ができて六畳。その後、ようやくボロ家を買えてね。それから田んぼばかりだったここらへんに移ってきたのは、40歳近かったかなぁ。二回目の建て直しで二世帯にしたら、作業場、小さくなっちゃった。あはは」と大きな体を揺すって笑う、増渕さん、御年85歳(2011年現在)、まさに豪放磊落という言葉がぴったりの御仁である。
 東京生まれの増渕さんは、学校を出て、戦闘機を作っていた中島飛行機に就職をする。栃木の宇都宮への赴任を命じられ、家族で移り住んだ。
 その後、昭和20年の春、徴兵されたものの、半年後には終戦を迎え、宇都宮へ戻ってきたという。増渕さん、わずか二十歳の時。仕事もなくなり、増渕さんは材木運びなどをしながら、その日をなんとか暮らしていたという。
 「いつも腹を減らしてたね。力なんか出なくてヨロヨロしてたよ。でも、力仕事しかないからね」
 その頃、たまたま知り合った人に印章ケースを作る人がいて、手伝わないかと誘われた。断る理由はなかった。3年ほど手伝ってるうちに、仕事をすっかり覚えてしまった増渕さんは、すべてをまかされるようになったという。そんな折、体の弱かった父親が亡くなる。
 残された母や兄弟を養うためには、上京してもっと稼ぐしかないと決意し、24歳で生まれ故郷の東京に舞い戻る。宇都宮に残してきた母や兄弟たちのために、必死で働こうと、印章ケースの問屋をまわっていた時のこと、大事なことに気が付く。実は、増渕さんは、ケースの芯になる木型の作り方を教わっていなかったのだ。宇都宮では、木型専門の職人から仕入れていたのだが、東京では誰もが自分で作る。そこで木型作りの上手な職人の家に通いはじめた。酒を時々、手土産にしていったので、邪険にはされなかったという。でも、教えてくれといっても、そう教えてもらえるものではない。そこで手の動き、持ち方、削り方、一つひとつ、目に焼き付けるようにして覚えては、自宅に戻って練習をした。
 そうやって、木型の仕事を覚えていき、問屋さんが認めてくれるような物を作れるようになるには、数年かかったという。

 ▲6畳ほどの工房の窓際が、増渕さんの定位置だ。


 ▲やすりがけをする作業台もかなりの年季が入っている。
 

問屋さんに腕がいいと誉められ、嬉しくて良い物を作り続けた60年間
 「あの頃の問屋さんはね、厳しかった。でも、良い物をこしらえれば、必ず買ってくれたし、褒めてくれた。それが嬉しくてね」と増渕さんは当時を振り返る。
 ある時、可愛がってくれた問屋の親父さんにこういわれたそうである。
 「お前さん、腕がいいのは認めるが、でも、逆さにしても落ちない木型なんぞは作れないだろうねぇ」
 現在のように物がなく、接着剤にしてもクズ米を原料にしていたような時代である。でも、与えられた環境の中で、それぞれが必死で良い物を作ろうというエネルギーに満ちていたと増渕さんは振り返る。
 「四年かかったよね。何度も木を削って、試行錯誤してね。できた時はすっ飛んで、問屋の親父さんに見せに行ったよ。したら、目ぇ真ん丸くして喜んでね。よくやったって。嬉しかったなあ」
 このことがきっかけとなり、増渕さんは印章ケース職人として、まわりから一目置かれる存在となる。弟子も増え、工房も年々大きくなっていった。
 しかし、良い時代は長くは続かない。印章ケースにも近代化の波が押し寄せてくる。

 ▲希少価値の高いワニの頭部の革を使った作品。


 ▲内張りはお客さんの要望を聞いて、変えるという。
 


 ▲この大きな手から、さまざまな作品が生み出されてきた。
僕なんかまだまだだよ。昔の人は本当に良い物を作ったんだ
 印章ケースは、軽くて丈夫、しかも悪運を寄せ付けないという縁起の良いワニ革が最高級の素材とされ、なかでも加工の難しいコブのある背や頭部を使った品は、もっとも値が張る。その他、さまざまな動物の革が素材となるが、手間がかかるので、値は安定していた。ところが、ある頃を境に、安い印章ケースが出回るようになった。その製造方法を見せてもらって愕然としたという。プラスチックの粉を型の上において、高熱でプラスチックを溶かし、革を立体的に圧着させてしまう機械が海外から入ってきたのだ。
 愕然としたのは、その機械ではない。熱で革がダメになっているのに、問屋がそれで良しとしたことだった。
 ふと気が付いたら、修行時代に良い物を作ると褒めてくれた問屋の親父さんたちは、代替わりをして、もういなくなっていた。それはバブル景気の熱に、日本国中が浮かされている時代とも重なっていた。
 だが、増渕さんは自分は動じなかったともいう。機械を仕入れたいとは、まったく思わなかった。
 「良い物を作ろうと思わなきゃ、この仕事を続ける意味はないからね」
 そういいながら、大きな体と手を器用に動かして、仕事を続ける。高齢とは思えない鮮やかな手さばきである。
 「僕は自分の仕事を上手だと思ったことはいっぺんもないんだな。だってね、昔の人はね、あんな物のない時代に、本当に良い物をこしらえたんだよ。僕はそれを見てるからね。僕なんかまだまだなんだよ」
 今、印章ケースの素材となる革は、年々手に入りにくくなっているという。革問屋さんが減少しているのだ。
 しかし、幸いなことに在庫を多めに仕入れているので、自分が仕事をできる間はなんとかなるだろうとのこと。
 良い印章ケースとはなんですかという問いに、増渕さんは少し考えて、「わからないな。でも、良い物を持つとね、しっくりくるんだよね」と穏やかな笑顔で、ワニ革の印章ケースを持たせてくれた。
 重厚感がありながら、やわらかい、なにより品がある。たなごころにぽっとりと収まる感じがする。
 おそらく、良い物に対する価値観は人それぞれだろう。しかし、手に持てば、いいなと思わせる何かがある。良い物とはそういうものなのかもしれない。
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