江戸の暮らしが息づく技と美

八重樫打刃物製作所

江戸打刃物 八重樫打刃物製作所 八重樫宗秋



現在、大変ご注文数が多いため、製作が間に合わず、台所用包丁は一時販売停止とさせていただいています。革包丁は販売を再開いたしました。

時代の流れに翻弄されながら、社会の中に花開いていった日本の鍛冶文化。
 戦国時代。それは刀鍛冶という職業が最も隆盛をきわめた時代とも重なります。
 日本が国を分かち、戦いに明け暮れ、どの大名も腕のいい刀鍛冶を数多く従え、質の良い武器の製造を競い合いました。
 しかし、江戸時代に入ると、戦はなくなります。武器の需要は一気に減りました。刀剣を製造していた鍛冶職人の多くは、刀剣ではなく、生活のための道具を作るようになりました。
 鍛冶職人にとっては、たいへんなことだったのかもしれません。しかし、これによって江戸の人々の暮らしは一気に花開くこととなるのです。
 鑿(のみ)や鉋(かんな)などの大工道具、釘などの建築用資材、さまざまな刃物類が生まれ、質が高まり、広まっていきました。道具の進歩は、そのまま技術の進歩につながります。
 世界遺産の日光東照宮も、この時代の江戸の職人たちが集まって作られたものです。その建築方法は、近年の調査により、一度、江戸で組み上げ、また、分解し、現地に運び、組み上げられたことがわかっています。
 江戸打刃物は、そうした刀剣の製造技術を受け継いだ江戸の刃物製造技法の一つです。
 その技術は、現在にいたるまで、脈々と受け継がれ、伝統産業だけでなく、さまざまな近代工業の要所に息づいています。




 ▲息の合った槌の打ち合いはまさに鍛冶の醍醐味。叔父とだからこその息の合ったコンビネーションである。

昭和の下町の風情が残る京成立石。この街に江戸の流れを今に伝える刀匠の工房がある。
 千円でとことん酔えるという意味で「せんべろの街」として都内で有名なのが、葛飾の立石である。
 戦前戦後は、セルロイド工場が建ち並び、高度経済成長期には、玩具産業を中心とした工業の町だった。その後、セルロイド産業は下火となっていくが、たくさんの働き手の胃袋を満たした安くて旨い店たちが、昭和の香りそのままに、今でも駅前に軒を連ね、都内近郊からたくさんの人が訪れる町になっている。
 そして、そこから数百メートルも離れれば、緑に囲まれた閑静な住宅街が広がっているのも立石のもう一つの顔だ。その一角の民家の植え込みに隠されるように続く細路地を奥へと進むと、コークスの炎が赤々と燃える八重樫打刃物製作所がある。
 四代目刀匠「宗秋」こと、八重樫潤一さんは、生まれも育ちも葛飾の立石だ。朝、火造りをする父親の姿を見ながら学校へ通い、帰るとその日できた物を納めに出かけていく父親を見送ったと子供時代を振り返る。
「品物を納めた帰りは、決まって駅前の行きつけの店で一杯やってくるのが父親でしたね。平日は家で晩御飯を食べたことはなかったんじゃないかな(笑)」
酒は好きだが、酔って乱れるようなことは一切なく、仕事に関しては、人一倍厳しい人だった。なにより、刀匠として誇りと自信に満ちあふれていた先代だったという。
「父親の手伝いをしたのは、中学の頃からですね。ま、当時は家の仕事を手伝うのは、当たり前でしたからね。最初は炭こなしという焼き入れ用の炭を細かくすることから覚えていきました」

 ▲焼き入れは、鋼の色で判断をするため、暗闇の中での作業。


 ▲焼き入れ後の磨き作業。気の抜けない手作業が続く。


材質、鍛造、焼入れ。その3拍子が揃って良い刃物が出来上がるんです。
 東京には、江戸打刃物と東京打刃物という二つの業種がある。由来や製法に関しては、両者はさほど違いはないが、後者は明治以降に発展し、ハサミを作るのが主という特徴がある。
 八重樫さんの工房は、戦国時代が終わり、江戸という平和な時代を迎え、武器ではなく、鑿(のみ)や鉋(かんな)などの職人の道具を手がけるような江戸打刃物の流れをくんでいる。
「基本的には、鑿や鉋などプロの職人さんの道具を作るのが仕事です。もちろん、包丁も作っていますが、今のご家庭はステンレスが主ですから、うちの様な和包丁は、やはり、プロの調理師さんが中心になっちゃいますね。本当は一般の方にも和包丁の良さを知ってもらいたいんですが、手入れが必要なのが難点ですよね(笑)」
 ステンレス包丁よりも鋼の包丁が優れている点は一言でいえる。それは「切れ味」だ。
 まあ、ステンレスにも多種あるが、刃物に使われるステンレスならば、顕微鏡で見ると、鋼の方が圧倒的に粒子が細かい。だから、和包丁は滑らかで、鋭い刃先が作れるというわけだ。しかも、砥石によくかかるので、何度でも切れ味が復活する。その鋭さの違いは、ミクロの世界で見れば、一目瞭然である。
「鉄は炭素量で硬さが変わります。炭素量が多いと硬くなる。柔らかければ切れないし、硬すぎると衝撃にもろい。そこで両者の良いところを引き出すために、和包丁はうまくバランスさせた二つの鋼を組み合わせてるんです」
 つまり、硬い刃鉄(はがね)を柔らかな地鉄(じがね)に合わせることで、無駄な力を逃がし、しなやかで丈夫な切れ味を保つという日本刀の技術がそこに息づいている。
「うちでは刃鉄の材質に、青紙、白紙と呼ばれる高炭素鋼を用途に応じて使っています。一概に包丁には青紙がいい、白紙がいいとはいえません。道具の種類、使う人のクセ、好みもあります。色んな要素を勘案して、その刃物に良い材質を選んでいます。後は、鍛造と焼入れで出来は決まります」

 ▲足袋を作るために今も使われる丸包丁。


 ▲楽器職人から依頼されて作ったという切り出し類。


 ▲理容師からの依頼で作られた本格的剃刀と耳剃り。



 ▲さまざまな工具類が並ぶ工房は先代の時からほとんど変わらぬままだ。

伝統工芸は近代工業にも取り入れられている。葛飾の職人会の活動を広げていくことが今後の目標。
 話を聞いていて感じたことは、江戸打刃物の強みは、その経験の豊富さにあるということだ。刃物であれば、すべて注文に応じて作ってきたと八重樫さんはいう。総火作りという真っ赤な鉄を叩いて形作る工法を主とするこの工房で、それは並大抵のことではなかっただろうと思う。
 たとえば、某大手自動車メーカーの工場で部品の切り出しに使われている刃(バイト)も、八重樫さんの工房で作っている。
「生産ラインで使われるものですから、そうそう取り替えることもできません。耐久性に関しては追求しました。たいへんだけど、でも、良い物を作れば、お客さんが喜んでくれるし、お得意さんになってくれるので、良い物を作ることは、やっぱり職人にとって大事なんですよね」

 ▲工業の現場で使用されるバイト類の数々。
 最先端の工業技術を影から、こうした古き伝統産業が支えていると思うと、とても感慨深い。
 最後に八重樫さんに、和包丁を家庭で買った場合の手入れの方法について聞いてみた。
「使ったら、すぐに熱湯をかけて乾いた布で拭くことです。ワインのコルクや大根の切れ端を使いクレンザーで磨き洗いをし、熱湯で洗って、拭くといいですよ。熱湯だとすぐに乾くのでオススメです。研ぎは月一回で十分です」
 八重樫さんは、伝統工芸の良さ、和包丁の良さについて、もっと多くの人に知ってもらえるように、できる限りフェアや催事にも職人会を通して参加しているという。
「研ぎの注文にもできる限りお応えしてます。やはり、家庭できちんと研ぐのはたいへんですからね。フェアでも整理券を配るんですが、すぐになくなってしまうほど人気なんです」
 時代が変わり、人も街も変わろうとも、大切な物は知らぬ間に受け継がれていく、そう感じた1日だった。

※大変申し訳ありませんが、現在、たいへん注文が多く、一時的にすべて売り切れになっております。

■江戸打刃物、八重樫宗秋の製作工程がご覧いただけます ※音が出ます


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