TOP > 東京打刃物 > 菊和弘



▲金町の駅から程近い場所にある工房。手前に見えるのが、鳥口と呼ばれる2本の金棒で、微妙な曲げ加工をするためにかかせない。

▲トリクチは何より大切。下手な人が打つとすぐに欠けてしまうから誰にも触らせないという。

▲エボと呼ばれる止め部分。溶接ではなく、叩き出している。

大河原さんが、この道に入ったのは14歳の時。
昭和7年に岐阜で生まれ、公務員だった父親の仕事の都合で小学生の頃に松戸に移り、親戚の家に間借りすることとなった。
その親戚の家というのが、打刃物をやっていた鍛冶屋だった。
小学生だった大河原さんは、真っ赤に燃える鋼を打ち続ける親戚たちの姿を工場のガラス窓越しに眺めていたという。
「面白かったねえ。窓ガラスにへばりついて、一日中見てた。皆がなんてことなさそうにやっているんで、自分でもできるかなと思っちゃったんだよね」
普通なら、ここで実際にやってみて、痛い目にあうのがオチだが、大河原さんの場合、本当に出来てしまったのである。
2枚の刃が重なり、一挺の鋏となる。総火造りでは当然、それぞれを別々に作る。溶接さえしないから、えぼと呼ばれる細かな部分もすべて、槌で叩き出す。形にするだけでも、至難の業だが、その別々に作った二つの刃をぴったり合わせるというのは神業に近い。
まだ、槌さえ満足に持てない少年が、大人が見ても、まずまずの鋏を造ってしまったのだから、誰もが驚いたという。
「褒められたら嬉しいよね。で、14歳になった時、場所だけ借りてね。兄さんと二人で仕事するようになったんだ。当時は洋裁が流行ってたから、仕事はいくらでもあった」
屋号の「菊和広」は、商売を始める時、兄弟の名前を取って、自分たちで名づけたという。

▲微妙な角度合わせも、すべて経験で正確に合わせていく。

▲60年以上も兄弟で工房に立ち、鋏を造り続けてきた。


▲上が通常サイズ、下は9cmの鋏、8cmのものがこれまで作った中で最小だという。

▲息子さんと二人で展示会などの売り場にも立つ。

▲仕事場を離れると、別人のように笑顔がこぼれる。
菊和弘



▲金町の駅から程近い場所にある工房。手前に見えるのが、鳥口と呼ばれる2本の金棒で、微妙な曲げ加工をするためにかかせない。

あまり軽々しく「天才」などという言葉を使うべきではないだろう。特に、それが職人という「努力」の積み重ねの上に成り立つ「技」に対してであれば、かえって軽んじているように聞こえても仕方がない。
しかし、時として、そうとしかいいようのない人物が出現するのも、また職人の世界である。
そして、間違いなくこの人物もその一人に数えられるに違いない。
大河原享幸さん、東京打刃物において、総火造りという技法を現代に伝える職人である。
真っ赤に焼けた鋼を鉄槌でたたき、あらゆる物の形を作っていく、鍛冶におけるもっとも根源的な技法で、「裁ち鋏」を作り続けている人物だ。
東京打刃物といえば「鋏」といわれるほど、特に洋裁で使われる裁ち鋏は、代表的な製品である。しかし、その東京でも、今は鋏の99%が型抜きで製造されている。
大河原さんのように、すべてを槌一本で作れる職人さんは、全国にも一人、二人しかいない。
「型を使ってもいいだろうけどね。でも、叩いて、鍛えてこしらえた物は、また違うからね」と大河原さんは笑う。
そこには、型を否定するようなニュアンスはない。ましてや自分の腕を自慢する風でもない。
「地方に行った時、自分の作る鋏とそっくりなのがあってね。私がこしらえたものを型にしてるんだ。驚いたよ」
ただ、純粋に作ることを楽しんでいる。そんな雰囲気がある種のオーラとなって、大河原さんを取り巻いている。そんな人だ。
しかし、時として、そうとしかいいようのない人物が出現するのも、また職人の世界である。
そして、間違いなくこの人物もその一人に数えられるに違いない。
大河原享幸さん、東京打刃物において、総火造りという技法を現代に伝える職人である。
真っ赤に焼けた鋼を鉄槌でたたき、あらゆる物の形を作っていく、鍛冶におけるもっとも根源的な技法で、「裁ち鋏」を作り続けている人物だ。
東京打刃物といえば「鋏」といわれるほど、特に洋裁で使われる裁ち鋏は、代表的な製品である。しかし、その東京でも、今は鋏の99%が型抜きで製造されている。
大河原さんのように、すべてを槌一本で作れる職人さんは、全国にも一人、二人しかいない。
「型を使ってもいいだろうけどね。でも、叩いて、鍛えてこしらえた物は、また違うからね」と大河原さんは笑う。
そこには、型を否定するようなニュアンスはない。ましてや自分の腕を自慢する風でもない。
「地方に行った時、自分の作る鋏とそっくりなのがあってね。私がこしらえたものを型にしてるんだ。驚いたよ」
ただ、純粋に作ることを楽しんでいる。そんな雰囲気がある種のオーラとなって、大河原さんを取り巻いている。そんな人だ。

▲トリクチは何より大切。下手な人が打つとすぐに欠けてしまうから誰にも触らせないという。

▲エボと呼ばれる止め部分。溶接ではなく、叩き出している。

大河原さんが、この道に入ったのは14歳の時。
昭和7年に岐阜で生まれ、公務員だった父親の仕事の都合で小学生の頃に松戸に移り、親戚の家に間借りすることとなった。
その親戚の家というのが、打刃物をやっていた鍛冶屋だった。
小学生だった大河原さんは、真っ赤に燃える鋼を打ち続ける親戚たちの姿を工場のガラス窓越しに眺めていたという。
「面白かったねえ。窓ガラスにへばりついて、一日中見てた。皆がなんてことなさそうにやっているんで、自分でもできるかなと思っちゃったんだよね」
普通なら、ここで実際にやってみて、痛い目にあうのがオチだが、大河原さんの場合、本当に出来てしまったのである。
2枚の刃が重なり、一挺の鋏となる。総火造りでは当然、それぞれを別々に作る。溶接さえしないから、えぼと呼ばれる細かな部分もすべて、槌で叩き出す。形にするだけでも、至難の業だが、その別々に作った二つの刃をぴったり合わせるというのは神業に近い。
まだ、槌さえ満足に持てない少年が、大人が見ても、まずまずの鋏を造ってしまったのだから、誰もが驚いたという。
「褒められたら嬉しいよね。で、14歳になった時、場所だけ借りてね。兄さんと二人で仕事するようになったんだ。当時は洋裁が流行ってたから、仕事はいくらでもあった」
屋号の「菊和広」は、商売を始める時、兄弟の名前を取って、自分たちで名づけたという。

▲微妙な角度合わせも、すべて経験で正確に合わせていく。

▲60年以上も兄弟で工房に立ち、鋏を造り続けてきた。

「型じゃないから、持つ人の手に合わせて、大きくも小さくも作れるのが総火造りのいいところ。左手用だってできる。一番小さいもので8cmの鋏を作ったよ。大きいのは69cm。ま、それは実用ではないけどね。次は何を作ってやろうかなと思ってる(笑)」
たぶん、大河原さんは、少年の時、窓ガラス越しに見て感じた好奇心を、80歳を越した今でも、変わらずに持ち続けている。それが物づくりへの情熱となり、エネルギーとなっているように感じる。
天才というのは、才能とか、センスの有無以前に、つまりは、そういうエネルギーがあるかないかなのではないだろうかと思う。
たぶん、大河原さんは、少年の時、窓ガラス越しに見て感じた好奇心を、80歳を越した今でも、変わらずに持ち続けている。それが物づくりへの情熱となり、エネルギーとなっているように感じる。
天才というのは、才能とか、センスの有無以前に、つまりは、そういうエネルギーがあるかないかなのではないだろうかと思う。

▲上が通常サイズ、下は9cmの鋏、8cmのものがこれまで作った中で最小だという。
今、大河原さんは、長年一緒にやってきた兄に先立たれ、息子さんと一緒に仕事をするようになった。受け継ぐ人がいて安心ですねという問いに、大河原さんでなく息子さんが答えた。
「総火造りの鋏は、修行したからできるようになるわけじゃないんですよね」
その言葉に大河原さんは何も答えない。ただ、笑みを浮かべて槌を打ち続けるだけだった。息子さんも自分にはできないとは言わなかった。看板が大きければ大きいほど、それを受け継ぐ方にも覚悟がいる。すべてはこれからだということだろう。
一挺の裁ち鋏を作るのに、2週間ほどの工程がかかる。注文してくれたお客さんを1か月も待たせてしまうこともあるという。
しかし、「菊和広」の裁ち鋏を手にすれば、待ったかいがあったと誰もが思うに違いない。まず、その美しさ、存在感が圧倒的である、その輝きはまるで日本刀のようだ。それもそのはずで、材質は最高品質の「安来鋼」にこだわっている。切れ味は、切るというより、布に当てれば、真っ直ぐにすうっと布地が分かれていくという感覚である。
「うちはね、お得意さんがいないんだよね。切れなくなるには100年以上かかるだろうからさ。二度と買いに来る人がいないのが悩みだよ(笑)」
取材の前日、大河原さんは、家族に内緒で、一日中槌を打っていたという。今は年齢もあり、家族からは無理をするなと仕事を制限されているらしい。
自分で貼ったという膏薬だらけの右肩と二の腕を我々に見せながら、「息子には内緒」と笑って言った。その目は本当にいたずら好きな少年のように輝いていた。
「総火造りの鋏は、修行したからできるようになるわけじゃないんですよね」
その言葉に大河原さんは何も答えない。ただ、笑みを浮かべて槌を打ち続けるだけだった。息子さんも自分にはできないとは言わなかった。看板が大きければ大きいほど、それを受け継ぐ方にも覚悟がいる。すべてはこれからだということだろう。
一挺の裁ち鋏を作るのに、2週間ほどの工程がかかる。注文してくれたお客さんを1か月も待たせてしまうこともあるという。
しかし、「菊和広」の裁ち鋏を手にすれば、待ったかいがあったと誰もが思うに違いない。まず、その美しさ、存在感が圧倒的である、その輝きはまるで日本刀のようだ。それもそのはずで、材質は最高品質の「安来鋼」にこだわっている。切れ味は、切るというより、布に当てれば、真っ直ぐにすうっと布地が分かれていくという感覚である。
「うちはね、お得意さんがいないんだよね。切れなくなるには100年以上かかるだろうからさ。二度と買いに来る人がいないのが悩みだよ(笑)」
取材の前日、大河原さんは、家族に内緒で、一日中槌を打っていたという。今は年齢もあり、家族からは無理をするなと仕事を制限されているらしい。
自分で貼ったという膏薬だらけの右肩と二の腕を我々に見せながら、「息子には内緒」と笑って言った。その目は本当にいたずら好きな少年のように輝いていた。

▲息子さんと二人で展示会などの売り場にも立つ。

▲仕事場を離れると、別人のように笑顔がこぼれる。
4件の商品がございます。